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2025.07.10

クォータリー通信

クオータリー通信(黒木社長 2025年7月)

『24時間働けますか?』

1990年前後に頻繁に流されたこのフレーズ、ある栄養ドリンクのコマーシャルだが直接聞いたことがある方は少なくなったと思う。私が就職したのが1983年(昭和58年)であったが、恐らく第2次世界大戦後復興時代、1990年代頃まで日本列島は“24時間働けますか?”状態であったと思う。そしてこの間の1960年代後半から1980年代は、それなりに所得水準も上がり外形的には豊かな国へと成長を続けていた。その頃に私は社会人となった。

今から思うと不思議だが、残業手当は無いのが当たり前、ビジネスではとにかく勝つ、競合や海外製品に勝つ、シェアを獲る、一日も早く立ち上げる、無理なスケジュールでも徹夜して間に合わす、これらの努力と勤勉さの積み重ねの結果、見かけの生産性は高く日本は世界有数の経済大国となった。 私の貢献などごく僅かで、吹けば飛ぶようなものであったと思う。それでも連日の残業や顧客や上司との飲み会、例えば3日連続の徹夜(実際は朝6時頃まで仕事をし、ソファで1-2時間程度の仮眠)したことも鮮明に記憶している。余談だがオフィスは喫煙可で煙は朦々としており、不健康極まりない環境であった。さらに仕事の内容はパソコンさえあれば何のことはない、単純な事務作業も多く含まれていたと記憶する。                                              なぜそんなことが出来たのか。                                                          20代後半から30代と体力はあり、とにかくそのディールを勝ち取りたいという体育会的使命感、一緒に取り組む社内外の仲間や上司との連帯意識、これらが理由であると思う。そしてたまたま成功した時は、大きな達成感があった。(少し真面目に言うと、他社の人とチームになって成果を上げることを経験したことは、とても良い経験となった。誰かがリーダーシップを取り、チームメンバーの意識を高く持ち目標に取り組むなど)ただし、そこに家族を犠牲にしているという意識は低かった。その頃、妻が記録した平均帰宅時間が深夜1時近くと言われた。(当時子供が生まれたところであり、故郷を離れ頼る人もいない関東で、妻は家出を考えていたと聞いた。幸いまだ実行されていないが )

このような全く不健康で独善的な働き方が世間でものさばっていた時代、外で働く女性の比率は低く就業率は1980年約50%強、それが2020年代に入ると70%を越えている。家庭・家族を顧みた働き方への変化が、行政の指導を含めようやく当たり前になりつつある。そしてICTが発達しAIが急速に浸透していく中、私が過去経験したような “24時間働けますか?” などは何の価値もない。働く環境や風土を整え、各人が学び価値を創造していくことが出来るような企業であることは、生き残っていくための必然であろう。

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